虚勢とは

 虚勢とは、張るために存在しているものである。では何のために張るのか。

 それは強度の足りない内面を外側から補強する、一種の応急手当的なリフォーム形態のようなものだと思う。

 あるべき姿と現実の姿との間のギャップがあまりにも隔たりすぎていると、自我を維持することが非常に困難になってしまう。故にそのギャップを繋ぎ止め、強度の足りない自我を維持していくために虚勢を張るのではなかろうか。

 だが、そうした形の補強は応急措置の類であって、本質的な解決策ではない。本来であるならば応急措置で凌いでいる間に、抜本的な内部リフォームを行わなければならない。

 虚勢という処置が問題なのは、外的要因によって突き崩されない限り、その応急補強が破綻することがほとんど無いことである。張られた虚勢は温室にいる限り、規模が拡大することこそあれ、崩れることはないのである。鉄壁の外壁は内部が腐敗しようとも、容易に自壊することはない。それどころか内部の崩壊過程が外の目から遮断されてしまう。たとえて言うならば、冷戦期のソ連の対外的なイメージと内部経済の実態のようなものである。

 これは国家に限ったことではなく、個人レベルにも十分に当てはまる。むしろ人間精神の形態の一類型かも知れない。

 国家レベルであれば核を保有してみたり、瀬戸際してみたり、ミサイルぶっぱなしたりするのがそれである(挙げた例が某国に類似するのは気のせいである)。

 個人レベルであれば盗んだバイクで走り出したり、しょぼい知識で天下国家を語ってみたり、憂国の士を気取ってみたり、校舎の窓ガラスを割って歩いたりするのである(挙げた例が中学生レベルなのは気のせいである)。

 国家レベルの話は市井の凡俗にはあずかり知らぬことではあるが、個人レベルのこととなるとそうも言ってもいられない。国家ならば戦争が起きるまで虚勢は維持できるが、個人レベルの虚勢など出るところに出ればすぐに叩き壊されてしまう。引きこもっていれば傷つくことなく過ごせるが、そうもいかないのがこの世の常。強化外壁が壊れれば、必然的に肥大した自我も崩壊してしまうので大変危険。最悪、心の病気になってしまう(本当に辛いからアレは・・・)。

 ソフトランディングするには周囲がなんとかしなければならないのは必定ではあるが、なかなか難儀である。