駄文

「まつり」

 「祭り」とは「祀り」であり、「奉り」である。古代中国において封建された諸侯はその土地の神をまつり、政治を行った。政治の「政」は「まつりごと」であり、「まつりごと」は「祭事」または「奉事」とも書く。エジプト、卑弥呼の例を挙げるまでもなく、神を祭ることと政治を行う事は同義であり、「祭=政」すなわちこれを「祭政一致」と呼ぶのである。
 これは決して古代に限られたものではない。近代、いや現代においても見られる政治の形態である。近代以降において、「祭」とは神を対象とする儀式だけでなく、建国記念日などの各種記念日や国家の式典、行事を含む広い概念となった。政治権力は儀式を欲し、儀式は権力を象徴する。「祭」と「政」は今もって不可分であり、逃れられない構造なのである。
 神の存在や宗教を否定した社会主義国家においてさえ、「祭」と「政」を分かつ事はできない。例えば万国労働者の祭典であるメーデー社会主義国家にとって重要なイベントの一つである。メーデーの日には大規模な軍事パレードが行われ、党の幹部達がひな壇に上りそれを観閲する。党幹部がひな壇上に並ぶその位置は党内の序列によって厳密に決められており、そこに立つ者がどれほどの権力を有しているか、一目でわかる仕組みとなっている。労働者の「祭」は本来の目的の他に政治権力の可視化という機能、すなわち「政」が備わったものとなっているのである。こうした現象はメーデーだけでなく、党大会や革命記念日などにも見られるものである。古代奴隷制社会における特徴であるはずの「祭政一致」は偉大なるマルクス主義をもってしても根絶できなかったのである。
 さて、私の住む地域では毎年秋にお祭りが行われる。神社の境内と商店街に出店が立ち並び、御輿を担いで練り歩くというさしたる特徴もない、典型的な日本のお祭りである。神社の境内の社務所の前には、秋祭りの実行本部のテントと巨大な掲示板の様なものが設置される。掲示板の様なものには秋祭りに寄付をした人の名前が寄付金額の順に掲示される。例年、最高額である金拾万円のところには市会議員や町内会長、氏子総代、開業医、不動産屋社長など地域の名士が名前を連ねている。彼等は実行本部のテントに陣取って、酒を呑みながらなにやら密談めいたことをしているのが常である。
 ところが今年は例年とは少し異なっていた。今年の夏前に不動産屋が夜逃げをしたのである。当然のごとく例の掲示板には不動産屋社長の名前はなく、実行本部テントでの密談のレギュラーも一名欠いたままであった。期せずして町内における権力構造の変動を目の当たりにして、私はふと社会主義国家における粛清や失脚が思い浮かんでしまった。『嗚呼、祭政一致は国家権力の専有物ではなかったのだ。人間存在の本質だったのだ』などとタコ焼きを食べながら心の中で叫んだ秋の夕暮。 

この文章はhttp://d.hatena.ne.jp/ujencooha/20041027で書いたくだらないエッセイである。祭政一致の意味を取り違えていると教授から指摘され没になった代物である。そもそも祭祀の長と政治の長が同一だから祭政一致なのであって云々、という話はうんざりだ。そんな歴史用語はくそくらえなのは言うまでもない。